或る日の主人の寄行について


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小生の名はエミリ。


賢明なる読者諸猫なら言わずとも知っての通り、エミリというのは世を忍ぶ仮の名である。
ニンゲンどもの単純な声帯では、小生の真の名を正しく発声するのは到底無理というもの。
そもそもにして、名というものが天気、湿度、毛のツヤ、尻尾の調子によらず、常に一定だと思い込んでいるところからして、ニンゲンどもの単純さには呆れ返るばかりであるが、それは今執筆中の『猫族の名―毛色と尻尾による名称変化の基本』におくとして、今日は小生がここ最近の宿としている家の主人の寄行について語ろう。


この家に同居するニンゲンどもの中で一番小さいのが、小生に毎日食事を献上する栄に預かっている主人である。
それが主人であることは、この家に起居する他のニンゲンどもが、その小さな主人から飯を与えられている点を見れば自明であり、他のニンゲンどもは、外見の大きさに反して、実はこの主人の庇護下にある子供であるのは考慮するまでもないことである。


その日、小生が遅い昼食をとり、ここ最近の小生の食事のレパートリィの単調さについて苦言を呈してみたものの、悲しいかな主人はニンゲンであるがゆえに共通猫語すら理解できないことを再認識するに終わり、仕方なく窓の下にて丸くなり、執筆予定の『猫とニンゲン―世界を統べる認識の相違と相互理解の限界』の章立てについて黙考していたとき、突然けたたましい音声が響き渡った。


ぶはははは!


それは見るまでもなく主人の声であるのだが、それにしても常軌を逸している。
少し心配になり声のした方を見てみると、主人は例によって亜鏡―これは鏡と同様に別の世界への入り口となっているが様々な点において相違している。詳細は『鏡とその亜種―世界の別体と魂なき仮体について―』を参照されたし―を覗き込んでは大きな口を開けて笑い続けている。


もしや亜鏡を覗きすぎて魂に異変をきたしたのか、と思い、こんな主人でもおかしくなられては、また別の宿を見つけるのも大儀であるからして、主人の膝に乗り、
「大丈夫か、亜鏡を覗きすぎては危険だとあれほど言ったであろう」
と聞いてみたり、主人の視線を亜鏡からそらすべく顔をつついてみたりしたものの、主人は一向に亜鏡を見ることをやめずに笑い続ける始末。


これは一大事、かくなるうえはこの亜鏡を小生の優秀なる牙と爪でもって破壊するしかあるまい、と腹を決めかけたところ、主人が正気に戻ったようで話しかけてきた。

「‥‥だいじょうぶよ、エミリ?わたしは、こわれてないよ?」
「正気に戻ったか。鏡の世界の探索は猫族ですら手を焼くもの。ましてや汝のような未熟な魂には危険すぎる。やめておきなさい」

とりあえず一安心し、忠告をしてはみたものの、やはり悲しいことに主人は猫語を解さない。
しかしまあ、目は尾ほどに物を言うという言葉もあることだ、ニンゲンの未熟な魂でも何かしらは伝わるであろう、としばし主人の目を見つめて思考を投射するものの、伝わったのやら伝わらないのやら。


どうにも仕方ない、何か起きたらすぐに対処できるよう、暫くここに居るしかあるまい、まあ主人の温い膝の上も、窓の下に比べてそう悪くはない。
小生はそう結論づけると、主人の膝の上で丸くなり、中断された黙想を再開したのであった。


これが或る日の主人の寄行とその顛末である。
ニンゲンどもの家に仮宿している賢明なる読者諸猫も、亜鏡とニンゲンどもの行動には、よくよく注意されたほうがよい。