とある教授の台詞

「君はまだ、量子的演算の考え方に馴れていないようだ。
 いいかね、量子的演算の世界では、確率や時間といったものは殆ど意味を持たないのだ。


そう言ってドクはコーヒーをゆっくりと飲み干すと、椅子に腰掛けなおし、
まるで先生が黒板を前に講義をするような口調で語りだした。


「必要なのは、演算体が、必要なだけの振幅を得るための僅かな時間−
 これは理論的にはゼロ時間なのだが、装置の都合上僅かな時間を要するものだが−
 それと、その中から一状態を選んで結果を『確定』させる為の僅かな時間。
 必要なのはそれだけだ。
 さっき君は試行錯誤と言ったが、試行錯誤に要するのはゼロ時間なのだよ。


「まだ分からないかね?では、例を挙げて説明しよう。
 例えば、1000桁の数字からなる暗号を解くことを考えよう。
 この暗号の組み合わせは、10の1000乗通りなのは自明だろう。
 コンピュータは、これを力業で1つ1つ当たっていく。
 1秒に100億回テストできる機械を100億個集めたところで、
 全部テストするには10の10乗、大体、ええと−


ドクはしばし天井を見上げた。暗算をしているのだろう。
ドクはまるで呼吸をするかのようにコンピュータを操作するくせに、何故小型端末を持ち歩かないのだろう。
今こうして説明している時も、目の前には四角やら矢印やらを書いた紙が散らばっている。


「−大体、300年と少しだ。
 たった1000桁の数字を解くのにこれなのだ。知性体を試行錯誤で生み出すのは、
 コンピュータには解決不可能な問題だったのだよ。


「しかし量子演算体ならば話は別だ。
 さっきの1000桁の暗号であれば1秒もかからんだろう。
 演算開始と同時に、量子演算体は10の1000乗個の状態の重ねあわせになる。
 その中にただ一つ、暗号が解けた状態の演算体があるだろう。
 後はその状態を選んで、結果を『確定』させてやれば済む話だ。


ドクは一旦言葉を切って、私の方を見た。
今の自分の言葉が私の脳に正しく伝わった、という状態が『確定』するのを待つかのように。