誰がテクノロジーを気にするのか?

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PowerPCはテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?」


これ、自らも技術者である筈のドン・ノーマン自身から吐かれた警句だということを忘れてはいけないと思うのです。
ちなみにこれ、元の文章の引用を続けるなら、

PowerPCはテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?
速いマシンが登場するたびに、速度こそが最も重要という声を耳にするが、だからなんだと言いたい。
ユーザーがこだわっているのは、テクノロジーやマシンではなく、きちんと仕事がこなせるか、
楽しめるか、よい体験が持てるかということだ。

となっています。


誰がテクノロジーを気にするのか。当然テクノロジーを作る技術者はテクノロジーを気にします。
誰がテクノロジーを気にしないのか。その技術をブラックボックスとして使う利用者は、当然そのテクノロジーを気にしません。
つまり、ドン・ノーマンの台詞は、

  • 技術者にとっての「目的」であるテクノロジーは、往々にして利用者にとっては「手段」「ブラックボックス」である、ということ
  • 利用者の「目的」は何か、そのテクノロジーが利用者に何をもたらすのか、を忘れてはいけないということ

を言っていると思いましたし、私もそれには同意し同感しますし、
なにより痛快に言い切っているので気に入った、ということなのでした。


これは技術者として生きていく上では体に叩き込むべき重要な感覚だと思っています。
私はいわゆるSEですが、大学でも教授に
「科学でなく工学、研究者でなく技術者を目指すのであれば、その技術が社会にどんな影響を与えるのか常に考えなさい」
と言われましたし、社会に出てからも
「エンドユーザにとって内部仕様なんてどうでもいいんだ、エンドユーザにとってどう使えるかを忘れるな」
というような事を言われてきました。


で、これ。
一般論として引用しただけで、別に伺かに関連付けて引用したわけではないのです。>さとーさん
でも、せっかくですし、例として無理やり色々関連付けてみましょうか。

「プログラム言語はテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?」
これは私も同意。プログラム言語自体に興味を持って色々やる人も居ますし、私も色々実験したりしますが、どっちかというと、「それで何が出来るか、何を作るか」の方に興味があります。
SHIORIはテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?」
ゴーストを立てるだけのエンドユーザにとっては「どんなゴーストが立つか、そのゴーストが面白いかどうか」が重要であって、SHIORISAORIも知ったこっちゃないでしょうね。だけど、SHIORIを使う人にとっては、それはブラックボックスなテクノロジーではなく、自分がそれを使って何かをするわけですので、当然気にするでしょう。
「呼び出したSHIORIの本体内管理方式はテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?」
もっと深く。例えばSSPの内部でどのような管理が行われてるのか、不具合でもなければ、本体作者以外に深く気にする人がいますか?
「Handが誰かを触る方法はテクノロジーだ。誰がテクノロジーなんか気にする?」
Handを立てて楽しんで下さってるだけのエンドユーザにとっては、内部でどんな処理がされてるのかなんて関係ありません。でも、ゴースト作者の方の中には、「これどうやってるのかな」「自分のゴーストにもできるかな」と気にされる方も居るかもしれません。それは、この場合、ゴースト作者は利用者ではなく技術者側だからですね。


今まで書いた例で分かるように、利用者と技術者が入り混じり、見かたによって立場が変わる場合、
「その技術は、誰を利用者とみなすのか。」
というのも重要だと思います。